この国の司法 その2 | 21名で守った百万都市江戸

7月、2度にわたりオウム13名の死刑が執行され、EU加盟各国、日弁連、内外の人権団体から声高な非難が寄せられています。
アムネスティ・インターナショナルによれば、死刑制度を事実上廃止した国や地域は142で、維持しているのは日本や米国など56。ことに日本について特筆すべきなのは、死刑制度容認派が8割を占めているという点です。

「オウム事件の被害の大きさなどが国民の死刑制度への支持を高止まりさせてきた」とも言われますが、私はこの8割という数字は、国民の、司法に対する信頼の表れであると思います。


私は「江戸文化歴史検定1級」という趣味の資格を持っています。江戸という世界でも稀に見る長きにわたる平和な時代が大好きで、この街が、200年以上にわたり世界で最も高度に文明化され、文化的で衛生的で安全な街であったことを信じて疑いません。

町奉行所には、探索・摘発・逮捕などに携わった、いわゆる「三廻り」と呼ばれる同心がいました。
隠密廻り、定廻り、臨時廻り。
文政3年(1820年)の記録では、南北の両町奉行所をあわせて、総勢わずか21名。
誤解を恐れずに簡潔に言いますと、江戸の正規の警察官はこれだけでした。

もちろん、それぞれが私的な探索者として「目明し」を使っていましたし、五人組という連帯責任の仕組みもあり、犯罪者の捕捉は現在よりも容易であったと思われます。

それにしても、現在の東京都の人口が1,375万人あまり。これに事務職員を除く警視庁警察官は43,000人です。人口320人に対し1名の警察官が配されているのに対し、「百万都市(※)」と言われた江戸では28,571人に対し同心1名でした。しかも、前述の21名というのは南北両町奉行所の合計です。町奉行所は月番制度を採用していましたから、表だって活動するのは実際は半数ということです。(※100万という人口には町方の権限が及ばない武士や僧侶が含まれています。ここでは幕末のころの町人人口とされる60万人を分母として計算しています。)

さて、ここまでの話はなんとなくご存知の方も多いと思います。

以上の警察人員に対し、吟味筋(刑事)および出入筋(民事)、つまり訴訟ごとや刑事事件の審理等に携わる人員は、与力・同心合わせて80名あまりを数えました。前述の文政3年の記録では、最も多くの人員が配されていたのが吟味方と呼ばれる掛りでした。

加えて、刑罰の規定も詳細かつ明確です。細かなところでは、主人の妻と密通した者は「獄門」ですが主人の娘と密通した者は「中追放」、さらには奉公人の請け人(保証人)として偽名を使った者は「江戸十里四方追放」など。
最も重い刑罰は「磔(はりつけ)」。最も軽いものが「叱り(しかり)」。それらを「急度(きっと)叱りの上三十日の手鎖」など他の刑の付加刑とするなど、罪状に応じて適用していました。

それだけの細かく公正な運用を保つことができたのは、例繰方(れいくりかた)や赦帳方(しゃちょうかた)などの掛りが罪状を精査し法に照らし、過去の判例をあたって綿密な調査を行っていたからで、裁判官(かつ裁判長)である南北町奉行も彼らの調査結果をもとに判決を言い渡しました。

それでもなお、警察署と検察庁と裁判所が一つの役所だったんでしょう?という議論の余地は確かにありますが、一昔前の時代劇で見られたような「石を抱かせて白状させて誰でも有罪」といった乱暴な話では全くなかった、ということを、イメージしていただけるかと思います。


平和な江戸から世界に目を向けてみたときに、建国間もない米国は別として、現在の欧州の先進各国はどうだったのでしょうか。
私は西洋史には決して造詣が深いわけではありません。30年近く前に米国に留学していた際、ヨーロッパ史を学んだのがほぼ唯一の体系的な知識です。その程度の知識でお話しさせていただくと、常に食料に不足していて(新大陸からジャガイモがもたらされなければ市民革命もなかった)貧富の差が大きく、都市はインフラが整備されておらず非衛生的で、国々は国境を接しているために争いが絶えず、宗教が国家を束縛するために対立が激しく、異端者に対して過酷・・・そういった、我が国近世から見るととても想像できないようなネガティブなイメージがどうしてもぬぐえません。

そんな社会で、他所から来た者、信条や宗教を異にする者、外見の異なる者などを、公正な審理と裁判を受けさせることなく吊るし、もしくは首を落として、排除してきた歴史はなかったでしょうか。(もちろん我が国にも「類似」のものはありました。先日世界遺産に指定されることが決まり一躍脚光を浴びた、「潜伏キリシタン」と呼ばれる方たちの歴史が顕著な例です)

そういった欧州各国が、乱暴な過去への反省として率先して死刑制度を廃止したように思えるのです。

逆に日本で死刑制度廃止論が高まりを見せないのは、刑として人一人の命を絶つに際して細かな決まりと審理の制度を設け、厳格に運用を続けてきた、江戸時代の歴史に根差した司法への信頼があるからではないかと、常々思っています。


最後になりますが、私自身は死刑制度に対し、存続、廃止、今のところどちらの立場でもありません。ただ、上川大臣が「鏡を磨いて磨いて・・・」と表現されていたように、どこまでも厳格に、人の命の重さと徹底して厳しく向き合うこと、それだけは強く求めたいと思います。「人の命」とは、死刑囚のそれであり、また彼らにより命を奪われた声なき被害者の命でもあります。

我が国における8月は、人のいのちの重さを考えなければならない月です。
ふじ行政書士事務所のブログとして適切なお題なのか迷いましたが、敢えて書かせていただきました。

この投稿をお読みいただいた方、私の歴史認識等に誤った点がございましたら、ぜひご教示くださいますようお願い申し上げます。